本堂と歴史

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浄土真宗本願寺派願宗寺の起源

初代 恵超
板倉、猿供養寺村、 願宗院 寺住 真言僧、恵超が親鸞聖人越後に流罪になられた時に帰依する     

年号不明   1211年前後と推測されます
(郡史、明治政府の調査報告書に記載有り)

帰依後山をおり今泉(上越市)に移る。
二世 恵宗を経て

三世 恵教
1333年 本願寺が寺院として確立されたのを機に願宗寺三世恵教が、本願寺三世覚如上人よりあらためて寺号を賜る。

以降

現高田公園付近に移る。

高田城築城に伴い、鴨島村と願宗寺が沢田現在の鴨島に移転。

1793年 願宗寺本堂焼失       過去帳、資料、宝物すべて消失

1796年 現在地に本堂を再建   寺基を四度移転し現在に至る。本堂築217年

1799年 本願寺19世本如上人よりご絵伝4幅、大きさ一貫 阿弥陀如来絵像1幅を賜る

1920年 茅葺き屋根を瓦葺に改修

1957年 供出で失った梵鐘を新に求め落成する

1995 年 本堂屋根銅版葺きに改修  落成慶讃法要
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2004 年 中越地震、本堂半壊 、鐘楼半壊

2005 年 本堂修復完了       入仏慶讃法要
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2008年  鐘楼修復完了
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岡田石材店施工

2011 年 親鸞聖人750回大遠忌法要、本堂落成慶讃法要
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2012 年 後門、納骨殿制作
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有限会社廣川仏壇店施工
後門                    余間

2013年 第三墓地至心苑造成8月  78区画   旧墓地1.2.3墓地合わせて約340区画

明治政府の調査(内務省)

明治3年より16年にかけて行われたれ新潟では越佐真宗寺院の消長にまとめられている。
それまでの仏教は檀家制度に守られ、僧侶自身もそれに甘え本分を忘れていたことも大きな原因であるが、明らかに将来的に寺院の影響力を弱めるための調査と思える。
事実、廃仏毀釈の真っ只中でこの調査の最中に政府による所領没収なども行われた。

越佐真宗寺院の消長

内務省が中心となり神社寺院及境外等明細帳書式の通達をもとに寺院明細長にまとめられた。

幕末の願宗寺所領及び石高

田畑8町
石高87石

明治政府所領没収と第二次世界大戦後の農地解放により境内地以外はすべてなくなる。

 

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